佐藤隆房さん(中7回)外科医 宮沢賢治の主治医

 佐藤隆房さんは、明治23年10月10日那須温泉湯本の旅館の跡取りとして生まれる。地元の大田原中学に進学するが、湯治客として那須温泉に来ていた川越の老舗佐久間旅館の当主佐久間次郎に預けられ川越中学校4年に編入した。次郎氏の人柄を見込んだ父親が旅館業の修行をさせるためだったという。川中に通う中「医への志」が強まり国立千葉医科専門学校(現千葉大学医学部)へ進み外科医となる。大正3年頃賢司の父宮沢政次郎に請われ花巻に佐藤外科病院を開業する。大正12年政次郎達有力者によって花巻共立病院が設立されると病院長兼外科部長に就任する。賢治とは親密な関係で昭和8年3月に他界するまで主治医をを努めていた。詩人で彫刻家でもあった高村光太郎とも親交があり、光太郞記念館には隆房さんの資料などが収納されている。岩手県医師会長、日本医師会議長、宮沢賢治の会会長などを務め、昭和54年5月21日92歳で永眠した。