昭和20年代、戦後間もないころ、吉田冬葉氏主催による『獺祭』という俳句雑誌が出版されていた。
当時、川越高校で教師の枠を超えていた古文の教師、佐藤徳四郎氏という人物がいた。
戦後、いっそう学ぶことのありがたさを知った川越高校の生徒は、
通称『徳さん』と呼ばれた名物教師の薫陶のもと、大人になった。
「徳さん」にまつわる話はいくつものレジェンドとなって、
多くの先輩OB諸氏から今も語り伝えられている。
『獺祭』という俳句雑誌の中には毎号、当時の川越高校の生徒たちの作品が数多く掲載されている。
徳さんの作品は無論のこと、教えを受けた多くの生徒たちの作品を通して
戦後間もない時代の川越高校の青春群像を垣間見ることができる。
本校の俳句への情熱は、その徳さんの影響のもとに広まっていったものと聞き及ぶ。
生徒の中には、のちに経済評論家で活躍している人や、市長として活躍された人もいる。
当時の生徒の作品(「川越高校生徒作品」として頁をさかれている)
『徳さん』の作品も無論忘れてはならない。数多くの作品の中から一句をご紹介する。
(『獺祭』 昭和24年3月号発行 第24巻)
蔵かげの根雪ふみけり空の靑
今年の冬は特に寒さが厳しく、とうに立春はすぎたものの、蔵の街を歩いてると路地のかしこに残雪をみかける。
戦後間もないころ、『徳さん』はどんな心象風景を思い浮かべながら、この句を発句したのだろうか。
蔵の街を歩きながら、不肖の同窓子はただくしゃみをするばかりである。