祝 『川越高等学校野球部百年史』 発刊
(非売品)
平成30年、本校野球部は創部百周年を迎えました。
その足跡としてA4版394頁からなる『川越高校野球部百年史』が刊行されました。
明治32年本校が創立された翌年、明治33年には
既に会則の中に野球部名は存在していましたが、
初めての対外試合を行った大正8年(1918)を創部の年としています。
平成元年に70年史を刊行し、平成30年には100年史をまとめました。
悠に5年の歳月をかけて編集された百年史には、
草創期の様子を始めとし、戦中戦後、甲子園出場の雄姿、平成の球児たちの活躍など、
明治、大正、昭和、平成と、一途に白球を追いかけた青春群像が活写されています。
さらに、その野球部を応援する川越の町の熱気あふれる応援風景や
本校応援部の初期の頃の活動の様子やら、
消えたバットにまつわる逸話も語られ、読ませられます、魅せられます。
表題は故渋谷健先生(元日本高野連副会長 中47・高1回)の奥様
渋谷成子様が揮毫されました。
つらい練習を乗り越え、野球から得たものは語りつくせません。
660名を擁するOB会諸兄の声をほんの少しだけ拾ってみます。
● 県大会では相手校を無得点に抑えてきたのに、三回に1点を先取されてしまった。しかし上田投手の球なら打ち込めるとファイトを燃やしてぶつかったので勝つことができました。念願の甲子園行きがかなってもうなんといっていいか。私は腰の具合がきょうはよかったし、みんなを元気づけてひっぱって行かなければと夢中でした。甲子園でもこのファイトでぶつかります。(横田氏 高12回)
● 高校3年間、野球をやっていた事は、死ぬまで私の心の片隅に残るでしょう。それはまさに、充実した3年間であったからに他ならず、自主性を重んじる風格の中にも個人の野球に対する真剣な態度が現れていて、何物にも代え難い貴重な三年間でした。川高野球部に栄えあれ! (池田氏 高38回)
● 学園祭。野球部は練習していた。近くではウォーターボーイズ。その列に並ぶ女子高生たち。僕らは目立ちたかった。ここにいるぞ!見てくれ!目の前を大きく響く声で集団走したのはいい思い出です。(荒田氏 高65回)
● どんなときでもグランドにでて練習に励んだ日々は自分を大きく成長させてくれた。負けることで強くなり、勝つことで仲間と喜びを共有できた。最高の仲間と共に川越高校で野球をしたことは、一生の誇りである。(弘重氏 高70回)
ももとせを いかに語らん グランドの 一つ葉田子の 実は揺れにけり (同窓子)
*一つ葉田子(ひとつばたご)はグランド一塁側にある飯田先生記念碑の両脇に植えられている。春にはやはらかな白い花を咲かせる。