本校は明治32年(1899年)創立以来、
明治・大正・昭和・平成の時代へと多くの方々に支えられ
120周年の寿ぎの時を本年迎えます。
新元号が発表されるという候、4時代のひとこまを拾い、
次代へ繋いでいくことを願っています。
〇 明治時代

創建当時の校舎

川越町の鐘楼より、旧「中学新道」

校舎より川越町を望む

第一回卒業生(M36)

千葉県北条町八幡海岸での元祖ウォーターボーイズ 。水泳訓練はM40年に始まる
〇 大正時代

大正元年(校門位置変更)

徒歩部

柔道部

剣道部

大正5年卒業生
〇 昭和時代

鈴木聞多氏(ベルリンオリンピック)

ゲートルを脛に巻き弁当を頬張る

川高生必携
*帽子の白線:明治42年、川越で第二番目の県立学校が開設された。即ち川越染織学校がそれである。(中略)混同されることを気遣い、帽子へ白線一本を入れることにきまった。勿論、前原校長さんの発案であることに違いない。(80周年記念 誌第一章学校通史より)
一年の一学期、川中生と他の学校の生徒、といっても時の川越町内には、県立高等女学校の他には、今の工業高校の前身である県立の染織学校があるだけだったが、その生徒と紛らわしいので、一見川中生とわかるようにしたいということで、全校学級委員会が開かれ、私も委員として参加したが、帽子のまわりに白線を巻くこととなった。二本論は当時の一高生と誤られるということで、一本論が多数決で採用された。(70周年記念誌 岩沢左馬太氏(第13回)『紫の勾、消えず』より)
戦後、高校と改称されてから白線二本に決まったとのこと。〈正確を期すため補足しました—同窓子―)

全校集会はくすの木のある中庭で行われた

校歌指導(S34 指揮は牧野先生)

対面式(S34)

旧図書館は時として席の奪い合いになった

校庭での陸上競技大会

制服自由化の後の通学風景 右手は川高生が利用した仙台屋(現在は駐車場)
〇 平成時代

対面式

礼に始まる

伝統と校旗のもとで

卒業式

卒業式の日の校舎遠景