あしひきの山桜花 日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも (山部赤人 万葉集)
桜の花が今は盛りと咲き誇る今日この頃、
同窓会報の最終稿もすでにあがり、
いよいよ印刷発行、そして発送となります。
小江戸川越の満開の桜を皆様方が十分楽しまれ、
やがて葉桜となるころにはお届けできるかと思います。
さて、会報編集長=大澤誠(高26回)はといえば、いつのまにか船頭に身をやつし、
もとい、姿を変えて、校正赤ペンを舟の櫓に代え、
好天の氷川神社裏手の新河岸川河畔に舟を浮かべ微笑み浮かべ
来川されるお客様へのおもてなし
「小江戸川越 春の舟遊」にご奉仕しておりました。
*新河岸川の舟運は寛永15年(1638)の大火で焼失した仙波東照宮や喜多院の再建資材を、新河岸川を利用して運搬したのが始まりとのこと。その後、舟運を本格的に開始したのは川越藩主松平信綱。幕末から明治にかけ新河岸川の舟運は全盛期を迎えたが、川越鉄道、川越電鉄鉄道、東武鉄道が開通すると荷物運送は鉄道に代わり衰退。昭和5年(1930)河川改修が完成すると水の流れは速く、水深も浅くなり舟運は困難になり、翌昭和6年通船停止命令が埼玉県より出され、300年続いた舟運の歴史に幕が降ろされた。