1905年(明治38年 中8回) 日露戦争勝利。川中生も興奮した。

 4月16日、入学式。91名が入学。15日校友会「会報」第5号発行。6月1日、日本海海戦勝利の5日後、どのような内容かは不明だが職員生徒一同、日本海海戦大勝祝賀のための武装行列を行う。9月5日にポーツマス条約が結ばれると、30日には職員生徒一同、戦利品見学のため所沢まで遠足。10月19日からは英国艦隊観艦のため生徒一同修学旅行に行っている。

 6月13日、第13回講話会。農学士 志賀重昂氏「従軍些談」 志賀重昂は「日本風景論(1894)」で有名な国粋主義者である。1月26日、第14回講話会。陸軍歩兵少佐 山田軍太郎氏「征露第一軍作戦概要談」 水兵 三村寅吉氏 「演題は不明だが海戦談」11月18日には、3年生以上が入間郡高階村、大井村で発火演習。このように日露戦争の勝利に続き、学内での様々な講演や軍事演習が続く中、川中生のボルテージは高まり、校友会「会報」第6号(1906年5月発行)には、5年生を中心に川中生の高ぶった文章が多く載せられている。3月27日第4回卒業証書授与式。49名が卒業。