卒業生が220名を超えた1907(明治40)年の夏、岡田萬雄、岩沢新平ら第1回卒業生の間から同窓会創設の発議があり、川越在住の1回~5回生まで2名ずつの理事を選出、当時の前原仙太郎校長と相談しながら準備を進め、9月1日、同窓会設立のための第1回例会(現総会)が川越中学校講堂で開催された。
この時「会員相互ノ和合ヲ計ルヲ目的トシ毎年一回例会ヲ開ク」という規約が定められた。会長には川越中学校の校長があたることになり、初代会長は前原仙太郎氏が就任した。会費は例会時に50銭を徴収、新卒業生の入会金を20銭とした。発足当初の同窓会の活動は年1回の例会だけであり、内容は芸人を呼んで講談や落語を楽しんだり、同窓生による講話や懇談であった。
第3回例会において、安部立郎(第1回卒)が前原校長の教育方針を批判する言動があったが、あくまで安部個人の考えであり、同窓会としては同窓会設立に力を貸してもらい5年にわたって会長を務めていただいた前原校長には恩義を感じており、1912年の校長退職にあたっては、理事が相談の上記念品贈呈のための寄付を呼びかけたところ予想以上の結果を収めることができた。
卒業生が600名を超えた1914(大正3)年、学校とのつながりを強化する目的から、同窓会役職が整備された。学校職員から1名を理事に選出学校側における同窓会会務に当たる(初代理事は、中一十教諭)。また事務室の書記(篠原書記)が同窓会の事務を担当することになった。新卒業生の入会金を10銭あげて30銭とした。この結果、翌年(1915)発行の学友会会報第12号から同窓会関係の記事が「同窓会記事」として毎回掲載されるようになった。
1918(大正7)年、退職した中教諭に代わり、第1回卒業生の岡田萬雄が川中に赴任、学校理事になった。翌1919年には、同じく第1回卒業の岡田恒輔が校長に赴任した。卒業生初の校長、初の同窓会長である。戦前の卒業生校長は岡田唯一人である。